2024年12月9日、日本のテレビ界に衝撃が走りました。フジテレビの朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などで長年キャスターを務めた小倉智昭さんが、77歳でお亡くなりになりました。
小倉さんは、長きにわたりフリーアナウンサーとして活躍されており、晩年はがんの闘病生活で苦労をされながらも、仕事を続けておられました。
この記事では、小倉智昭さんの死因の調査と、今後のお別れ会に関してまとめました。
小倉智昭さんの経歴
小倉智昭さんは、1947年5月25日に秋田県秋田市で生まれ。
独協大学を卒業後、1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社しました。
その後、故大橋巨泉さんの勧めで1976年にフリーアナウンサーに転身し、TBS系クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」の出題を担当し、「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びました。
1999年からは、フジテレビの「情報プレゼンター とくダネ!」の総合司会を担当し、22年間にわたってとくダネの顔として、鋭い視点と分かりやすい解説で、多くの視聴者から支持を得ていました。
小倉智昭さんの闘病生活
小倉さんは、2016年5月13日に「とくダネ!」の放送内で、初期の膀胱がんであることを公表しました。
同月17日に手術を受け、わずか1週間後の23日には番組に復帰するという驚異的な回復力を見せましたが、その後も闘病は続き、2018年夏には生放送直前に膀胱から大量出血し、同年秋に膀胱の全摘手術を受けました。
さらに、2021年秋には肺への転移が見つかり、2023年には腎盂がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けるなど、厳しい闘病生活を送っていたようです。
小倉智昭さんの最期の様子
小倉さんは、闘病しながらも精力的に活動を続けていました。
2024年11月23日に放送されたフジテレビ「小倉ベース」では、都内の自宅でEXILEのHIROらとトークを展開し、元気な姿を見せていました。
しかし、その後、体調を崩し、千葉県柏市内の病院に入院し。12月9日に帰らぬ人となりました。
小倉智昭さんの死因
小倉さんの正確な死因は明らかにされていません。
しかし、長年のがん闘病が関係していることは間違いないでしょう。
小倉さんは、膀胱がん、肺転移、腎盂がんと、複数のがんと闘ってきました。
特に、2023年に左の腎臓を全摘出した後、ステージ4の腎盂がんであることが判明し、
2024年1月には「余命は1年半。3年生きる可能性は8%ない」と宣告を受けていたことが明らかになっています。
小倉智昭さん 闘病生活と後年の様子
小倉さんは、自身の闘病経験を積極的に発信し、多くの人々に勇気を与えてきました。
膀胱の全摘手術後、当時一般に浸透していなかった人工膀胱の知識を実体験とともに発信しました。
また、尿漏れパッドが欠かせなくなり、使い終わったパッドの取り扱いに困ったため、「男性トイレにもサニタリーボックス(汚物入れ)の設置を」と訴え、大きな反響を呼びました。
小倉さんは、がん闘病を通じて、
「しがみついて生きる生き方はしたくない。頑張って治したい。でも寿命は自分で決められない。だから考えがしっかりしてきた。何年、生きられるか分からないけど、充実した生き方をしたいと考えるようになりました」
と語っていました。
小倉智昭さんの最後の姿
小倉さんの最後の公の場での姿は、2024年11月23日に放送されたフジテレビ「小倉ベース」での出演でした。
都内の自宅でEXILEのHIROらとトークを展開し、元気な姿を見せ、フジテレビの伊藤利尋アナウンサーは、
「10月にもお宅にお邪魔してお話をして、遊びに来いよと言われたばかり」と語っており、
小倉さんが最後まで前向きな姿勢を保っていたことがうかがえます。
小倉智昭さん お別れ会について
小倉さんのお別れ会については、現時点で詳細な情報は公表されていません。
しかし、小倉さんの人柄や業界への貢献を考えると、多くの関係者や芸能人が参列する大規模なお別れ会が開かれる可能性が高いでしょう。テレビ業界の大先輩として、多くの後輩たちに影響を与えた小倉さん。
そのお別れ会は、彼の生涯を称え、その功績を讃える場となることでしょう。
小倉智昭さんの人柄
小倉さんは、プロフェッショナルなキャスターとしての一面だけでなく、趣味人としての一面も持っていました。ミニチュア楽器やドールハウスのコレクションが趣味だったことが知られています。
また、高校時代は陸上部に所属していたという意外な一面も。こうした多面的な人柄が、小倉さんの魅力の一つだったのでしょう。
小倉智昭さんの功績
小倉さんの最大の功績は、22年間にわたって「とくダネ!」のキャスターを務めたことでしょう。
朝の情報番組の顔として、多くの視聴者に親しまれました。
また、2021年7月には東京オリンピックの聖火ランナーを務めるなど、テレビの枠を超えた活躍も見せました。
小倉智昭さんの後悔
小倉さんは、膀胱がんの治療について一つの後悔を語っています。
最初に膀胱の全摘を勧められながら、拒んだことを「性機能が低下するので”男としての未練”があって、2年半先延ばしした。それが間違いだった」と明かしています。
この経験を公に語ることで、小倉さんは同じ状況に直面する患者たちに貴重な教訓を残しました。
小倉智昭さんの遺志
小倉さんは、闘病生活を送りながらも、
「僕の世代に向けた番組がほとんどない。同世代が楽しめるような番組をやりたい」と語っていました。この言葉は、最後まで前を向き、新しいことに挑戦しようとしていた小倉さんの姿勢を表しています。残念ながらこの夢は叶いませんでしたが、小倉さんの遺志は、テレビ業界に新たな視点を投げかけたと言えるでしょう。
小倉智昭さんの影響力
小倉さんの死去は、テレビ業界に大きな衝撃を与えました。フジテレビの伊藤利尋アナウンサーは、「我々番組内部にいる人間にとっても本当に大きな存在でした」と語っています。小倉さんの鋭い洞察力と分かりやすい解説は、多くの後輩アナウンサーたちの目標となっていました。その影響力は、今後も長く日本のテレビ業界に残り続けることでしょう。
小倉智昭さんの記事のまとめ
小倉智昭さんの死去は、キャスターとしての卓越した能力、がん患者としての勇気ある発信、そして最後まで前を向き続けた姿勢に敬意を評します。
小倉智昭さん、長い間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。